生存する脳

生存する脳―心と脳と身体の神秘

生存する脳―心と脳と身体の神秘

引き続き某県立医大の図書館から。こういう本はこんな機会がなければ、まず読まない....という脳医学の本。

この世界の事象はすべて不確実である。明日太陽は東から昇らないかもしれないし、量子力学相対性理論は上手く統一できないかもしれない。恋人は人間に化けた宇宙人かもしれないし、歴史上の出来事が正しいとは、今となってはだれも証明できない。そうであれば一体何を拠り所にすればよいだろう? 一体、完全に不確実でないものは存在するだろうか。

それは、「すべてを疑っている自ら」である。どれほど全てのものを疑ったとしても「全てのものを疑っている自分」は否定できない。即ち、「我、思うゆえに、我あり」....
というのがデカルトのテーゼだが、本書では、それすらも大いに疑わしいと主張する。

あなたの自らの選択(と思っているもの)は、本当に主体的な選択だろうか。
たとえば、あなたが昼食を考えるとき、「ああ、今日はラーメンにしようか、それともカレーにしようか、あるいは焼きうどんにしようか....」と考えて、ラーメンを選択したとする。あなたはラーメンを主体的に選択したと思う。しかし、ラーメンとカレーと焼きうどん、という選択肢は一体どこからきたのだろう。あなたは、知っている全ての食品を比較検討して合理的にラーメンを選択したわけではない。

あるいは、もっとシリアスな選択を迫られるとき。例えば、病院で医師から複数の治療法を提示されたとき、離婚問題を考えるとき、就活で面接を受けるとき....あなたは「よし、ここは重要な局面だから、よくそれぞれの選択肢を吟味して、合理的に判断しよう」と思うかもしれない。しかし、その局面を判断する判断基準自体は一体どこからきているのだろう....と考えていくと、我々の選択というものは主体的でも合理的でもないのではないか。

自我という存在は自明ではない。クオリアは存在しない。それは、さまざまな脳の思いつきが統合されているという錯覚なのかもしれない....というのが本書のテーマ。

あと、ソマティック・マーカー仮説について本書では詳しく論じている。まぁ、提唱者の本なので、当たり前だが。