笹川良一研究

笹川良一研究―異次元からの使者

笹川良一研究―異次元からの使者

戦前と戦後で日本の社会の在り方は劇的に変化した。笹川良一さんは、そのどちらの時代でも、自分自身の生き方を殆ど変えずに活躍した珍しい人かもしれない。笹川良一さんの人生を簡単に時系列で要約すると以下のようになる。

・若い頃、実業家として財をなす
・政治家になる
・戦後、戦犯として「自発的」に巣鴨プリズンに入獄
・モーターボート(競艇)界の「帝王」として君臨する
・様々な慈善事業をする

また、政治や実業家という分野は人々の注目を受けやすく、伝記のネタにもなりやすいが、笹川良一さんは戦後、競艇と慈善事業という特殊な分野で活躍したため、あまり一般の人に知られていない。しかし、戦後の日本を代表するような大人物といってもいいのではないか...と、本書を読んで思った。まぁ伝記なんで良いところばかり書いているのかもしれないが。
以下、興味ある部分の抜粋と感想。

日本船舶振興会特殊法人でなく財団法人になったことについて

笹川は次のように語っている。「特殊法人になったほうが税金面その他で優遇措置が多い。だが、ともすれば"親方日の丸"的な意識が生じやすい。臨調がメスを入れようとしたのは、じつはこの点なのだ。特に目立つのが高級官僚の"天下り現象"だ。....天下り官僚は在任期間が短いにもかかわらず、....多額の退職金をもらい....再天下りする渡り鳥のケースが多い。私は特殊法人にすれば、このような弊害が出てくると見通していた。トップが天下り組で占められ、一種の利権として短い期間で交代があれば、下は安心して仕事にうち込めるものではない。焼け跡から立ち上がり、民間の有志が考えた仕事は、やはり民間の手で行うべきではないか。....」

しかし、これは笹川良一という、良くも悪くもカリスマ性のある人物のために設えられた仕組みで、汎用性はないかもしれない。

当時は、まさにこの点が、笹川による船舶振興会私物化として、しばしば批判の対象となった。....「競馬(中央競馬会)や競輪(自転車振興会)、オートレース(小型自動車振興会)はいずれも特殊法人であり、中央競馬会を例にとると理事長、幹事、副理事長、運営審議会委員は所管の農林大臣が任命し、任期は最高八年、兼職を禁じられている。」

たしかに、同じ公営ギャンブルなのに、競輪競馬と競艇で組織の仕組みがまったく違うことは、以前から不思議に思っていた。

事実、現在でも日本財団(船舶振興会)の経営は、中央競馬会(競馬)、自転車振興会(競輪)など、他の公営競技売上金の管理団体とくらべて、きわだって簡素であり、また柔軟である。競艇と競輪の売上はほぼ同じであるが、日本財団の職員数が八十九人にすぎず....自転車振興会は、二百二十人の職員をかかえ、売上げが競艇・競輪のほぼ倍ちかくある中央競馬会にいたっては、職員数は千九百人にも達する。しかも会長、理事長はじめ、高給をはむ理事が多数いるのである(その多くが所管官庁からの「天下り」であることはいうまでもない)。

競艇の世界は、なかなか独立自尊であったようだ。