南方熊楠百話

南方熊楠百話

南方熊楠百話

肉親や知人による回想と書簡、同業専門家の南方についての評論を集めたもの。
図書館でかりてきて、読みました。
南方の奔放な人となりを知るには便利な書だが、評論はそんなに面白くない。
そのなかで鶴見和子さんによる「エコロジーの立場に立つ公害反対」という評論はまずまず。

南方は、植物学者として、神林の濫伐が珍奇な植物を滅亡させることを憂えた。民族学者として、庶民の信仰を衰えさせることを心配した。また村の寄合の場である神社をとりこわすことによって、自村自治を阻むことを恐れた。森林を消滅させることによって、そこに生息する鳥類を絶滅させるために、害虫が増え、農作物に害を与えて農民を苦しめることを心配した。海辺の樹木を伐採することにより、木陰がなくなり、魚が海辺によりつかず、漁民が困窮する有様を嘆いた。参土社を奪われた住民の宗教心が衰え、連帯感がうすらぐことを悲しんだ。そして、連帯感がうすらぐことによって、道徳心が衰えることを憂えた。
南方は、これらのすべてのことを、一つの関連ある全体として捉えたのである。

[中略]

わたしの見た限りで、二度ほど、南方は「エコロジー」ということばを使っている。
第一は、柳田あて書簡においてである。

今春またこの島[神島]で塩生の苔...このほか実に世界に奇特希有のもの多く、昨今各国競うて研究発表する植物棲態学 ecology を、熊野で見るべき非常の好模範島なるに....

第二は、新任の和歌山県知事川村竹治宛書簡において、野中王子、近露春日社二社の神社について、次のごとく記している。

殖産用に栽培せる森林と異り、千百年来斧斤を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおることに御座候。

エコロジー」ということばは用いてないが、そのことをさしているらしい表現はいくらでもある。たとえば...
[以下略]

太平洋戦争前から「エコロジー」を意識していたというのは凄いな。しかし、南方のいうエコロジーと現代のそれとでは、かなりニュアンスが異なっている。

本書の執筆者のうち、主な者は、

柳田国男
澁澤龍彦
大岡昇平
牧野富太郎
中沢新一
南方文枝
カルメン・ブラカ
グリエルマ・リスター
孫文

など。