南方熊楠とツイッター

十二支考〈上〉 (岩波文庫)

十二支考〈上〉 (岩波文庫)

南方熊楠の文章の特徴は、彼の思考に合わせて話題が次々と目まぐるしく変わっていくことだ。
普通の人がこんな風に書けば、支離滅裂で非常に読みにくい文章になるだろうが、彼は非常に博識で、なおかつ文章力があるのでスラスラと読めてしまう。そして、非常に面白い。まるでリンクをたどってウェブサーフィンをしているかのような印象を与える。

南方の文章を読んでいると、人間の脳の構造は一体どうなっていたのだろうと考えてしまう。
例えば文章を書くとき、普通はその文章の目的なりテーマに沿って思考を整理し、文字に移し替えていく。
しかし、これって脳の機能からいえば、例外的な行為なんじゃないか。
人間は複数の事柄をとりとめなく同時並行的に考えながら生きる方が自然な動物かもしれない。
「今日の昼飯は何にしようか...もうすぐXXさんから電話がかかってくるはずだ...そういえばあの取引は...次の給料日は...」という風に。
一つの事柄に集中して、論理的に系統立てて考えるという行為は、明らかに脳にとって負担になる。

文章によって考えを整理し他人に伝えるようになったのは、人類の歴史からみれば、ごくごく最近のことだ。
原始人は、抽象的な事柄を集中して考えるような機会には恵まれなかったはずだ。
そんなことを考えていたら、食事にありつけないし、外敵に襲われたときに素早く対応できない。
色々な事に同時並行で対応できるように脳は発達したのではないか。
南方はそのような脳の構造を、ある程度意識的に利用したんだろうか。それとも無意識的に利用できるようになったんだろうか。

...というようなことを考えていると、ツイッターは、かなり理に適ったシステムといえるのでは、と思った。
他人の短い思いつきをランダムに閲覧するというのは、一見馬鹿らしいが、ブログなんかよりこちらの方が人間の生理には合っている。